振返り1)”引き離された” 分岐点
私、箱根駅伝が好きで、毎年見ているのですが、
「あー! ●●大学! 集団から遅れ始めましたっ・・・!」
と、集団から遅れる選手が出るシーンは、胸が痛むシーンの一つです。
3年間、塾に通う中で、箱根駅伝のように、
「あー! 今の学力帯グループから、遅れ始めましたっ・・・!」
と思う瞬間が、3回ありました。
それを、「分岐点」として振り返り、下の子(2026受験)のときには活かしたいなぁ・・と思っております。
分岐点1)5年後半
以前、「今思えば、5年生が大事だったんだな」のブログで書いているのですが、5年後半で、算数・理科が引き離されました。
5年の夏休み位からでしょうか、新単元が抽象的になり難易度があがり、でもカリキュラムのスピードは全然落ちずに進んでいくようになりました。
算数は、「比」や「速さ」など重要単元目白押しなので、なんとかついていこうと努力しましたが、理科が完全に落馬でした。
ここで勉強時間を増やすべきでしたが、子どもにも/親にも、受験生の自覚は無く、勉強時間は増やせなかったなぁ~・・・。
ここでついた差が、6年以降、加速度的に広がっていった気がします。
5年の内容が身についていて、その上に応用を載せていける子と、5年の内容をもう一度やり直す子(うちはこっち)で、そりゃー、差がつきますよね。
分岐点2)6年後半
6年夏頃は、我が家は S偏差値50前半位でした。
ただ、本人志願度の強さもあり、
「一か八か、AZ中第一志望で行こう」
と決め、SSも AZクラスに所属しました。
ただ、やっぱり、ムズすぎた・・。
「2-3ランク上の学校を目指すこと」 のブログでも触れたのですが、
・SS AZコースでの問題が、自分の実力値より、上のものが多すぎる
・過去問やっても、難しすぎる
という状態。
標準レベルもままならない中、AZ対策に突っ込んだことにより、標準レベルが瓦解。
SOの偏差値が、毎回下がっていき、第1回が 50前半だったのが、第4回には 40前半へと、10近く下がりました。
これは、なかなかの恐怖でしたね・・・。
分岐点3)4年後半
これは、受験後にわかったこと!^^;
子どもに、受験後、
「サピ 3年間通って、いつが一番きつかった~? (6年後半のSSだろうなぁ)」
と聞くと、子どもは
「4年後半~5年前半じゃないかな。授業が よくわかってなかったんだと思う。
だから、家帰ってきてもよくわからなかったし、パパに怒られてたね。
算数の授業も、先生が黒板に書いた式を、ただ写してるだけだったしね。
6年になって、授業の受け方が、すごくよくなったし、先生の話してることがわかるようになったと思う」
マジ!?!?!?!
そうだったのか・・・。
4年の頃は、授業がわからなくても、親が家で解説してついていけるようにして、算数も B授業→A授業と2回あるので、それでなんとかなっちゃってたんだな・・・。
やっぱり 塾(サピックス)は、「授業」が起点なんだよな。
「授業外で、いかにサポートするか?」ではなく、
「いかに、授業内で理解度を上げられるか?(受講力)」が勝負なんだよな。
それが、4年生の間にやる 一番大事なことだったのかもしれない。
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というわけで、”引き離された”分岐点を 振り返ってみました。
その時その時は、全力でやっていたので、後悔はないのですが、
こうして書くと 胸が痛む・・・ (><)
今日は暗い内容になってしまいましたが、
”追いついた”分岐点 も 2回あると感じており、
次回は、”追いついた”分岐点を、ポジ目に書こうと思います!