不本意な結果 と 昔の思い出
(今日は、40代おっさんの昔の思い出話がメインなので、お忙しい方は、スルーくださいませ。)
最近のサピでは、「保護者面談」「志望校提出」と続き、志望校について深く考えさせられました。
我が家の場合、面談の一番の論点は、
「どの学校も厳しい結果の時、進学先をどう確保するか?(第5~6志望校)」
でした。
(平たくいうと、”安全校中の安全校”をどうするか? ”安全校”って、失礼な言葉だとは思いつつ^^;)
ゆえに、テンションあがる第1~2志望ではなく、切実な話であり、悲観シミュレーションばかりしていた、ここ最近でした。
悲観シミュレーションをしながら、自分の昔を思い出していました。
私は、中学受験はしてないのですが、高校受験が大失敗で、いわゆる 「不本意な進学」をしました。
'90年代の 東京都の高校受験は、私立が非常に強い時代で、私は某大学付属 を目指していたのですが、全滅して、某都立に進学しました。
当時は、今と違って私立優位の時代で、都立の上位校でも、私立の滑り止めとして進学する人も多かった時代でした。
私自身も、”滑り止め”の意識なので(私立落ちてるんですけどね(笑))、プライドだけは高く、
「俺は、●●付属に行きたかったわけで、都立○○高校 に来たかった訳じゃねー」
と、斜に構えて 高校生活を過ごしていました。
高校入学当初は、高校受験勉強の貯金があるので、成績もトップクラスでした。
が、大学受験は、ふたをあけてみて、どうなったか?
第一志望で その都立高校に入った人々は、とても前向きに 3年間 コツコツ積み上げて勉強し、大体、そういう子たちが、現役で合格していきました。
私は、プライドだけ高いまま、大学受験に挑み、これまた全滅で大失敗^^;
「何やってたんだ、俺は、、、
第一志望で都立に入って、前向きにやってた人達に、結局 負けてんじゃん 」
と猛省しました。
で、浪人のときは、謙虚にマジメに勉強しましたよ という話。
この経験から、
「不本意な入学」というのは、「不本意な学校」に行くことじゃなくて、
「不本意な気持ちを、持ち続けたままでいること」
なのかなと感じています。
学校生活も楽しめないし、もったいない。
うちの子も、もしかしたら、中学受験で、第5~6志望の学校に行くことになるかもしれない。
そうなったとしても、もちろん親としては、
「受かった学校が、ご縁があったということだよ! よく頑張ったよ!」
と、表向きは、言うと思います。
でも、内心は、
「サピに 3年通って、●百万円 突っ込んで、ここかぁ~・・・」
って思っちゃうと思います (><)
ただ、そうやってウダウダするのは、2月で終わりにして、
3月からは、気持ちを切り替えることが、何より大事なんだろうなと思います。
案外、引きずるのは親の方で、子どもの方は、気持ちの切り替えが早そうな気もします!
こうして、悲観シナリオを想像するのは、いいものではないですが^^;
悲観シナリオを想像しきることで、
「逆に 最悪でもこんなもんか」とも思え、
リスクをとることへの希望がわいている、今日この頃です。
というわけで、志望校提出・面談も終わりましたので、
悲観シナリオ検討は、このあたりで終わりにして、
「いのちだいじに」モードから、
第1~2志望メインの 「ガンガンいこうぜ」モードで、
また、過ごしていきたいと思います!