家族との会話から考えさせられたこと
先日のブログで、第一志望は変えずに行くことにした(少なくとも この冬期講習・正月特訓は)ということを書きました。
- 厳しいのはわかった上で、2/1 AZ中でいくのか?
- 2/2から 2/1へ、志願度の高い〇〇中をシフトするのか?
この判断は、なかなか悩ましく、先週は、妻とも色々と会話をしました。
妻と会話する中で、これは単に学校選択ではなく、我が家の価値観が、問われているんだなぁ~と思わされました。
思考過程のメモとして、残しておきたいと思います。
(受験終わったら、全部忘れちゃいそうなので(笑))
我が家の場合、大きく2つのことが、問われているなと。
問1)「最後までやりきる」ことと、「自分たちがよいと思っている学校で6年間過ごす」ことと、どっちが大切か?
最近、私の中で、中学受験が合格/不合格うんぬんではなく、子どもの 「人間教育のプロセス」という意味付けになりつつあります。
(いや、合格は大事なんですけどね(笑))
そう考えると、当初の志望校を下ろさず、「最後までやりきる!受験しきる!」経験を積むことが、結果はどうあれ、子どもの人生にとって大切ではないかと。
妻に、この ”やりきることの大切さ” を語ったところ、
妻は、
「話としてはわかる。言ってることは、美しい。
でも、それで、志願度の高くない▲▲中で、6年間過ごす ということを、あなたはどう考えてるの?」
と。
なるほど・・・。
現実的な意見だ・・・。
6年間過ごす学校だもんね。
であれば、子供も親も、気にいっている 〇〇中で過ごせる確率を上げるべく、2/1受験したほうがいいのか・・?
問2)「子どもを信じ切るか?」「とはいえ、まだ小学生・・なのか?」
中学受験は、親が口出しはしているものの、とはいえ子どもの人生の一部。
私: 「子どもの受験なんだし、最後は、子どもの意志が一番じゃね? 子どもがAZ中受けたいんだったら、AZ中で いくしかないっしょ?」
妻: 「そうかしら? とはいえ、まだ小学生。受験校決定という大事なことには、親が関与してもいいんじゃないかしら? 6年後に、きっと 子どもはわかってくれると思う」
という話。
うーん、妻の言うこともわかる。
こうして書いてみると、立場としては、
私:「最後までやりきる」×「子どもを信じ切る」
妻:「6年間過ごす学校の大切さ」×「とはいえ小学生」
という違いはあるものの、お互い言ってることはわかるし、お互い子どものことを、全力で考えてはいるんですよね。
いやはや、まだ迷いがあるのが本音です^^;
「父性」と「母性」の違いが、ベースにあるのかもしれないな。
父性: 挑戦、冒険、理想、リスクテイク
母性: 安心、守る、現実、リスクヘッジ
みたいな。
とはいえ、父親=父性100%、母親=母性100% のような単純な話ではなく、私の中にも、「父性」と「母性」があり、グラデーションで存在しています。
特に、結論も、まとまりもありませんが(笑)、こんなことを考えています。
前向きに考えると、やはり、中学受験してよかったかな。
こんなに真剣に、自分たちの教育上の価値観に向き合ったりしないですもんね・・・
追記)
たくさんの方から、コメントを頂き、ありがとうございました!
(このブログ・・・意外と読まれているのか・・?^^;)
匿名の場という性質上、こちらからの ご返信や、頂いたコメントへの深い理解が難しいので、コメントをクローズ&非表示といたしました。
この場を借りまして、お礼申し上げます!mm