振返り3)ずっと考えていたこと
中学受験を振り返るにあたって、過去のブログを見ていました。
すると、「ずっと、同じようなこと考えてるな・・・」と思わされることも。
今日は、「中学受験を通じて、ずっと考えていたこと」を、書いてみようと思います。
ずっと考えているということは、
「答えがない話」
なんだなと。
なので、「これが正解です」と言うつもりは全くなく、考えていたことをつらつらと書いてみます。
受験の目的は、志望校合格・・ なのか?
普通に考えて、中学受験の目的は、「志望校合格」でしょう。
もっと言えば、「より偏差値の高い志望校への合格」かもしれません。
ただ、6年になって、後半になればなるほど、
「本当に ”志望校合格” が目的なのか?」
と、自分自身迷いが生じてきました。
厳しい現実 と 中学受験の目的の再考
中学受験を始めた頃、4~5年の頃は、
「目指せ上位校!」「目指せ α!」
って感じで、それこそ、「志望校合格」という「結果」こそが、中学受験の目的だと、一ミリも疑う余地はありませんでした。
ただ、6年になって、色々な現実に直面しました。
- 我が家が、我が家なりに頑張ったとしても、まわりがもっと凄いし、もっと頑張ってるので、偏差値は そう簡単には伸びない(むしろ 下がった^^;)。
- でも、我が家の子どもとしては、4-5年時代よりは明らかに 頑張ってるし、私の小学生時代よりは、1万倍 勉強している!
- 到底届かない偏差値にも関わらず、「AZ中 に行きたい!」と言い出し、必死で SS AZ コースに食らいつく姿。でも、内容的には、ついていけない 厳しい現実・・・。
こういうのを見ていると、
「合格しないと、これまでの努力は水の泡」
だなんて、とても言えないな・・ という心境になってきました。
「志望校合格」と「子どもの成長」の狭間で
6年の後半になるにつれ、私にとっては、
「子どもが、子どもなりに、全力で中学受験に取り組み、そのプロセスで成長感があれば、素晴らしいことなのかも」
という気持ちが、段々強くなってきました。
ただ、このあたりは、当時から心境は複雑。
本当に「子どもの成長が価値」と思っていた面もありますし、
一方で、”このままじゃ到底第1志望は無理” という現実を受け入れるための、メンタル上の詭弁だった面もあるかもしれません^^;
「中学受験の目的は志望校合格」という観点からみたら、とっても甘いのだけど、
「成長の価値」「プロセスの価値」に重きを置き始めてから、子どもの見方や、受験への見方が変わったような気がします。
「結果は、どうあれば、全力でやろうぜ!」
「その先に、何かが残るハズ!」
という感じですかね。
そう考えたときに、偏差値的には到底厳しいのですが、
「2/1 AZ中を受けよう」 という決断をすることができた気がします。
「必笑法」
6年生になって、おおたとしまさ さんの「必笑法」 に書いてある意味が、とてもよくわかるようになりました。
「わが子が100がんばればそれでよ良し」とする中学受験があってもいい。
とか
中学受験で最終的に第一志望に合格できる子どもの割合は3割にも2割にも満たないと言われます。
それを「勝ち負け」で表したらあまりに分が悪い戦いです。しかし人生に勝ち負けなんてないように、中学受験にだって勝ち負けなんてありません。
終わったときに、「やりきった」「成長できた」と思って 家族で笑顔になれるなら、そして合格した学校に堂々と通えるなら、その中学受験は大成功だと言えます。
いやはや、なかなか 考えさせられる内容・・・。
これ、最初読んだのは、5年の時でしたが、そのときは、
「こんな お涙頂戴な感じになるかなぁ~・・・」
と、穿って見てました^^;
が、6年になって、色々な現実 と それでも頑張る子どもの姿をみていると、
「必笑法」 で、おおたとしまさ さんが書いていることが、とてもよくわかってきました。
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というわけで、「受験の目的は何か?」という正解のない話なので、
なんだか、はっきりしない振り返りでしたが^^;、
色々 考えて、自分たちなりの考えに至るのが大事なんだろうなぁ~ とは思います。
志望校合格 か 成長か?
結果 か プロセスか?
必勝法 か 必笑法か?
まー、これも 10:0、0:10 のような単純な話でなく、両者をバランスさせながら、どこかで心の折り合いをつけていくものなのでしょうね。
下の子(2026受験)のときも、色々考えさせられるんだろうな・・。
楽しみでもあり、メンドウでもある・・・^^;