麻布の説明会に参加して(2/4)
(前回ブログ記事 の続き)
前回ブログで、各学校が言う自由には、以下の2種類があるということを書きました。
- a) ある程度の規範がある中での自由
- b) 規範はなく、規範自体を自ら見出す自由
ようやく、麻布の話 (前段が長くてすみません)
■麻布が言う「自由」
麻布の説明会の校長先生の話や、麻布本(リンク集)を読むと感じるのは、
麻布が言う自由は、明確に、
「b) 規範はなく、規範自体を自ら見出す自由」
だと感じます。
例えば、開成・灘・麻布・東大寺・武蔵は転ばせて伸ばす (祥伝社新書) の本の「麻布」の章に、こんな一節があります。
このとき(=1970年ころの高校紛争)麻布の生徒および教職員の中に
「誰かに定められた規律によらず、自ら定めた規律に従うときのみ、自由である」
という理念が確立しました。
それが今日の自由な校風にもつながっているのです。
なるほど・・と。
今回の説明会でも、平校長からは、「自由」について、
・麻布が言う自由は、服装や茶髪などの「外見的自由」という意味ではなく、「内面的自由」のことを言っている。
・麻布では、自由は「環境」にすぎない。環境を利用して色々なことに挑戦することが大事。
・成功だけでなく、失敗もある。麻布は、「失敗をする自由」を認めている 。
(上記、私のメモベースなので、実際のお話との多少のズレはご容赦を)
というような話がありました。
「自由」という環境を活かし、自ら主体的に動き回ることで、学びを得て、自分なりの規範を確立していく・・・ そんな生徒の成長イメージを、麻布が持っていることが、感じられます。
■いかに規範への「気づき」を得るのか?
では、自由にチャレンジをしていたら、何らかの気付きを、勝手に生徒は学んでいくものなのでしょうか?
これは、社会人の人材育成でも同様の議論がありますが、「内省」がキーになると、私は考えています。
自分なりに、起きたことを掘り下げて、意味の再構築を行う時間です。
そして、「内省」を引き起こすトリガーとなるのが、周りからの「問いかけ」「フィードバック」です。
麻布が、さすがだなと思わせるのは、ここのしかけです。
例えば、「正副担任制」。
こんなに自由に生徒に任せる学校ならば、先生やることないし、先生の数は、そんなにいらないのでは? と短絡的には思ってしまいます。
しかし、麻布は逆。むしろ1クラスに二人の担任をつけています。
それだけ、生徒を見ることに時間・コストをかけているという姿勢が垣間見れます。